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済州の民俗酒、オメギ酒、コソリ酒
2012.06.29 (今) 吳栄周 contributor@jejujapan.com

済州の酒、その歴史はいつ始まったのか?

韓国人が酒を飲んだという記録は、はるか昔の部族国家時代に遡る。夫餘の<迎鼓>、高句麗の<東盟>、濊の<舞天>などの祭天儀式で男女が集って酒を飲み歌い踊ったという<三國志>の「魏志倭人伝」の記録がそれである。そうした儀式が毎年恒例で行われることによって、韓国の酒にまつわる民俗が伝承されてきたものと思われる。しかし、済州の酒に関する文献記録は甚だ乏しく、具体的なことを知る術がない。

しかしながら、15世紀に書かれた『新增東國輿地勝覽』に済州の酒に関する最初の記録が見出される。そこには「焼酎を大いに用い」、「春と秋には廣壤堂と遮歸堂に男女が集い、酒と肉を調えて、神に祭祀を捧げる」と記されている。そこで、済州の酒は主に焼酎で、高山里の遮歸堂と済州市の廣壤堂の堂祭のような祭礼で使われたことが分かる。したがって、耽羅国が建国される以前から、村ごとに男女が神堂に集まり、神に祭祀を捧げる堂クッのために酒が用意されたものと思われる。


粟を醸造するオメギ酒

済州島の土壌は火山土なので、基層文化は粟文化である。陸稲が栽培されてはいたが、甚だ収穫量が少なく、それは専ら祭礼用のご飯や餅に用い、穀物が大量に消費される酒には糯粟を用いた。糯粟を粉にし、丸い餅の形にし、その餅を茹でてオメギ餅を造ったが、それを酒の醸造に用いたために、酒餅とも言う。

オメギ酒餅と麹を混ぜ合わせ醸造すると、上層には澄んだ酒、下層には濁り酒ができる。澄んだ酒はその量が多くなく、祭礼用や大事なお客の接待に用いた。他方、大量の濁り酒は日常用とした。日本の植民地期以前には各家庭でオメギ酒を醸造していたが、日帝が酒税を賦課するために制定した酒税法によって家庭で酒を醸造することが非合法とされて取締りが始まると、「密造」せざるをえなくなった。

しかも、解放後にも日帝の酒税法がそのまま受け継がれ、糧穀を管理するという名目の「糧穀管理法(1950年)」が制定され、密造が厳しく取り締まられた。その結果、済州のオメギ酒は、その伝統がほとんで途絶えた。但し、技能保有者(金乙貞、無形文化財、第11号)が城山民俗村で昔ながらのオメギ酒を再現するなど、かすかにその伝統を引き継いでいる。城山民俗村を訪問すると、オメギ酒作りの体験や試飲ができる。


オメギ酒造り

   
▲ (上から)民俗酒を醸造するに最も重要な麦麹、粟で醸造したオメギ酒、    写真提供:吳栄周

麹は初夏に大麦だけ、もしくは大麦と小麦を混ぜて造ったりもする。穀物を臼で挽き、水を入れて混ぜ合わせ、麹の形を整えて、寝かせる。オメギ餅は、糯粟を水でふやかして、きれいに粉にした後、湯を入れて捏ね、円形にして、水に入れて20分ほど茹でる。茹ったオメギ酒餅が冷めないうちに大きな容器に入れて、餅を完全にすり潰してから、生温かい状態で麹の粉を混ぜ合わせて、そこに茹で汁を少し振って、流れる程度に粘り気を調整する。麹と一緒に甕などに入れ、風通しのよい所で1日に数回かき混ぜ、むらなく発酵させる。

糯粟と麹の比率は、乾燥状態で6対4である。オメギ酒は酸っぱくなりやすいので、霜降を過ぎた寒い時期に醸造するのが良い。発酵が終わった酒は上層と下層に分離し、上層には黄色い澄んだ酒が浮かぶ。甕に入れてから10日程度で熟成するので、その頃に掬って飲むと美味である。酒20㍑を造るのに糯粟8㎏程度が必要である。


コソリ酒、蒙古族と一緒に造った蒸留酒

本来、草原の遊牧民族は羊、牛、山羊、馬、駱駝といった五種類の家畜の乳でアルコール度が低い酒を造っていた。ところが蒙古のジンギスカンの世界征服当時、ペルシャ文化圏から東洋に蒸留酒の製造技術が輸入された。その後、遊牧民族は発酵した家畜の乳を蒸留して高濃度の酒を飲み始めた。周知のように、高麗時代、済州島は100余年間、蒙古帝国の直接的な支配下にあった。ジンギスカンの孫であるフビライ・ハンは済州の中山間地域に蒙古の国立牧場を建設し、5種類の家畜を連れて来て放牧した。その時に、蒙古の畜産技術者たちもこの地に入ってきて、蒸留酒の技術も伝来したものと思われる。

朝鮮王朝の中宗の時代に著わされた金淨の『済州風土錄』(1520年)には「稲が甚だしく少ないために地方の土豪たちは陸地から買い入れて食べ、力のない者は畑の穀物を食べているような状況で、清酒は非常に貴重なので、季節を問わず、普段は焼酎を飲む」と記されている。この記録は、済州では米を醸造する陸地式の清酒は稀で、粟や麦のような畑の穀物で造った焼酎を飲用していたことを物語っている。

コソリ酒は雑穀を醸造した濁酒を蒸留容器に入れて、アルコールの純度を高めた焼酎である。

済州でコソリ酒というのは、蒸留器であるコソリに由来する。コソリ酒はコソリから汗のように出てくるというので、「汗酒」とも呼ぶ。済州島は高温多湿なので醸造した穀酒が変質しやすく、昔から主に蒸留酒を製造していた。コソリ酒は半永久的に保管できて、主に婚礼や葬礼の際に、お客の接待用にした。酒は祭礼に際して重要なお供えなので、斎戒沐浴が非常に重要視された。普通は3日間以上にわたって斎戒沐浴した後で醸造したが、特別な場合には「7日間の斎戒沐浴」を行った。

また端午の節句には、西帰浦地域のオルムの周辺で生える百種の薬草を採取して、コソリ酒に入れて、薬用酒を造ったとも言われる。さらには、芽生えてきたばかりの新芽には「気」が生きているからと、薬酒として最高品の評価も受けた。釜から掬いだした酒粕は、篩にかけて、酒おもゆと酒かすに分け、前者は食べて、後者は家畜の餌にした。コソリ酒は60年代後半まで中山間部落で多く製造され、葬儀や婚礼のある家にこっそりと売られたりもしていた。


コソリ酒の製造法

   
▲ (上から)コソリ、 濁り酒      写真提供:吳栄周

済州のコソリ酒と淵源を共にする安東焼酎や開城焼酎は米で焼酎を醸造するが、コソリ酒の原料は粟、大麦、唐黍などの雑穀、或いは、サツマイモである。コソリ酒は澱粉質原料に麹を入れて、発酵させた濁酒を蒸留させればできる。甕の中の発酵した濁酒を釜に満たして、コソリを載せる。コソリの窪んだ蓋「チャンテンイ」に冷水を満たし、練り粉で方々の孔を塞ぐ。容器上の水が熱くなると水を換えることを繰り返し、焼酎を作りだす。最初に出てくる酒を「初酒(45~50度)と言い、後に出てくる酒を「後酒(35度程度)」と言う。蒸留された焼酎は水甕に入れて、酒気が蒸発しないように入口を密封して熟成させる。

 

吳栄周(済州漢拏大学校ホテル調理学科教授)   contributor@jejujapan.com

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オメギ酒 写真提供:吳栄周
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