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春の嵐
2012.06.20 (水) 金蒼生 contributor@jejujapan.com

   
▲ 済州4・3慰霊祭の模様     写真提供:済州4・3平和財団

漢拏山の九十九の谷から吹きつける風は、家主宅の庭の椿を散らし、やっと咲きはじめた黄水仙を根元から手折り、防風林を一晩中、騒がしく揺らし続けた。窓は閉まっているはずなのに、どこかに隙間があるのだろう。離れの我が借家のガラス窓が絶え間なく揺れ、音を立てる。風の音が悲鳴にも聞こえる。この地の人々はそれを「鬼神(クィシン)の声(ソリ)」と呼ぶ。すすり泣いているようでもあり、怒りに満ちているようでもある。ぶ厚く垂れた雲のあいだから雨粒が落ちてくる。瞬く間にそれは、我が家のスレート葺きの屋根を叩きはじめる。テレビの音もかき消す大音響だ。窓の外は横なぐりの雨で霧がたちこめたかのように真っ白だ。ここ済州島で暮らし始めた当初は「鬼神の声」に、我が家の上空を幾人もの鬼神が白い衣を風にはためかせながら飛びかっている姿を想像しては、真剣に般若心経を唱えたものだった。

毎日が日曜日の私たち夫婦にとって、雨が降ろうが雪が降ろうが大して不便もないのだが、明日は違う。明日だけは晴れてほしいとテレビの天気予報に見入っている。三月下旬からその日の天気が気になって仕方ないのだ。

昨年の済州四・三慰霊祭は終日、雨だった。参列者全員に簡易レインコートが配られ、皆が皆、服の上にそれをはおって慰霊祭に臨んだ。広大な敷地の芝生は前夜から降り続いた雨でぬかるみ、会場に並べられたプラスティックの椅子の上には水溜りができていた。会場は色とりどりの傘の花で埋まった。雨は止むどころか、逆に勢いを増してきた。そんななかでも慰霊祭は粛々とすすんだ。黙祷時、参列者は一斉に傘を下ろして立ち上がり、頭を垂れて黙祷した。遺家族とともに並びながら、私も白菊の花を献花した。雨に打たれてけぶる線香の香りにつつまれながら、齢六十にして、はじめて慰霊祭に参列できた。涙があふれた。

遺族には高齢者が多く、それだけに今年は前々から当日の天候が気になって仕方がなかったのだ。朝方まで降り続いた雨は、シャトルバスに乗って慰霊祭会場に向かう頃には止んだ。しかし、四月とは思えない冷え込みだ。風も強い。空模様も怪しい。喪服に準ずる洋服を用意していたが、急遽、薄手のダウンコートの上に黒い雨具をはおって会場に向かった。バスから降りた途端、強風で口を塞がれた。首に巻いたスカーフが吹き飛ばされそうになる。おごそかであるべき所なのに、ついついヒイイ、キャアァと奇声を発してしまう。まっすぐ前に進めない。姿勢を変えると、瘠せてもいない私の身体なのに、瞬間、浮く。前屈みになって会場に着くと、周辺を取り囲むように設置されている面(地方行政単位のひとつ)ごとのテントはすべて横倒しになっており、重ねられた椅子もまた横倒しになっていた。写真を撮ろうにも指がかじかんで思うようにならない。剥きだしの手が冷水に漬けたように真っ赤になっている。体感温度はマイナス10度。慰霊祭が始まるまでにはまだ時間があり、動き回っているほうが温まるだろうと考えて、やたら会場周辺を歩き回る。

強風にあおられるままに横道にそれると『予備検束 行方不明犠牲者 慰霊碑』の一角に行き着いた。四・三の狂風から九死に一生を得た青年たちが、朝鮮戦争勃発により「敵に同調する可能性がある者」とされて集団銃殺されたのだ。四・三時に韓国本土の刑務所に収監されていた済州出身者も銃殺を免れ得なかった。墓標の数、三六九二碑。墓標には犠牲者の姓名と住所、生年月日、行方不明になった場所、遺族代表の名が刻まれていた。墓標の前にうずくまっているお婆さん、寒風にさらされながら心づくしの供物を供えている遺族たち。六年六ヵ月に及ぶ四・三事件、その後の予備検束によって行方不明になった済州島民は四千から五千名と推定される。遺骨もなく、その死を確認することもできないままに、かけがえのない夫や父や息子の死を受け入れざるを得なかった遺族たち。死者は四・三事件から六十年たってようやく安息の地を得たのだろうか。遺骨が無いから墓ではない。故に墓標なのだが、それでも人は人を偲び、無念に逝った黄泉の旅程を思うのだろう。

   
▲ (左から) 済州4・3慰霊祭の国樂追悼公演    写真提供:済州4・3平和財団、 予備検束行方不明者慰霊碑    撮影:金蒼生

強風と悪天候のため、屋外の予定だった慰霊祭は急遽、平和祈念館内で執り行われることとなった。一階、二階のロビーは人であふれ身動きもままならない。二百名収容の大講堂で慰霊祭が執り行われ、その模様が一階ロビーの大型映像モニターで中継されたが、人波で近づけず、音声不良で何がなんだかよくわからないままに慰霊祭は終わった。無念なのは遺族の方たちだろう。猛烈な抗議が寄せられたと聞いている。「あそこは山だからね、こんな日にはぐんと冷え込むよ。昨年は雨だったし。慰霊祭は毎年行うんだし、お年寄りも多いから屋内会場をつくるべきだよ」とはタクシー運転手の弁。十二万坪の広大な敷地の済州四・三平和公園。雨に打たれても風にあおられても、済州各地からおいでになる高齢の遺族たち。天候に左右されず、心ゆくまで死者に向き合える空間がもうひとつあってもいいのではと思わざるをえない今年の慰霊祭だった。

狼藉の限りを尽くした春の嵐が去って、済州島の桜は一気に開花した。我が村から市内に至る幹線道路の桜並木が美しい。昨年も今年の冬も長かった。済州島で雪国体験ができるとはい思いもよらなかった。それだけに春の陽射しに心が弾む。窓の外が小鳥のさえずる声で賑やかしい。そっと戸を開けて外に出ると、近所のお屋敷の塀に十数羽の雀が一列に並んで一斉にさえずっていた。昨夜の暴風雨は人間でも大変だった。ましてや小鳥たちともなれば。濡れそぼった羽をお日様に向けて乾かしながら、互いの安否確認でもしているのだろうか。雀の学校?それとも雀の合唱団?弾んだ雀たちのさえずりを聞きながら、私も久方ぶりの晴れ間に心躍るのだった。


金蒼生
1951年生。日本の大阪で生まれ育った在日二世。作家。著書に「わたしの猪飼野」「赤い実―金蒼生作品集」「イカイノ発コリアン歌留多」「在日文学全集10巻」所収。訳書「済州島四・三事件   第六巻」など。2010年10月、済州島に移住。

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