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金永甲、美しい済州の土に戻った人
2012.03.24 (土) 田殷子 contributor@jejujapan.com

 芸 術 空 間 


   
▲ 観覧者の想像力を尊重するという作家の意に従い、彼の作品にはタイトルや説明は一切ついていません。   写真提供『金永甲ギャラリー豆毛岳』

1982年、一人の写真家が済州にやって来た。その名は金永甲。済州に魅了された彼はソウルと済州を往復しながら、写真を撮った。そしてその後、1987年にはソウル生活を畳み、済州に定着して、オルムと平原、ススキと雲、風と海などを撮った。彼は済州の美しい風景を撮ったわけではなく、風のような済州人の真の生命力を胚胎した、そんな済州の自然を撮ったのである。備えなど特別なものは何一つない彼は、食べものに使うお金まで惜しんで、フィルムを買い、お腹がすけば平原のニンジンと大根、サツマイモなどで飢えを満たした。

済州の風に魅了され済州人になって20年、金永甲はハルラ山と水平線、地平線の境界までも見えなくしてしまう雪、雨交じりの風を受けて、いつのまにか済州の風向木となって暮らしていた。土地がひどく痩せているうえに厳しい気候の大地で、いつも飢えに苦しめられてきた済州の人々の生命力のありのままの姿を語るには、前後の見境さえもなくさせる済州の風をまずは理解するのが必須だと思い至るようになった。

金永甲は済州の中山間のオルム地帯を自分だけの「秘密の花園」と呼んだ。そこは360余のオルムの中でも彼が特に好んだ「ダランスィオルム」と「龍の眼のオルム」があるところでもあった。それこそは金永甲の美学の根城となった場所だった。毎日訪れる秘密の花園に関して、金永甲は次のように語った。「その場所にいる限り、私はいつも自由でした。人と人が集まって暮らすところで守るべき礼儀作法からも解放されることができました。猜疑、嫉妬、争い、不平、不満、人が生きているところならどこでもあるそんなありふれたことも、秘密の花園ではありませんでした。守るべきことがあるとしたら、小さな草や昆虫たちの命を奪わないように気を付けたり、野の生き物が驚かないようにすることだけでした。」

金永甲がそれほどに探しながらさまよった、済州らしさはどこにあるのか。それは目にはよく見えない刹那に存在する。彼の心を奪っていた平和このうえない光、これまた、一瞬間に見てとるのは難しい。光を見ようとすれば、暗闇を知らねばならない。刹那を撮ろうとすれば時間の流れに乗らねばならない。恍惚とした美しさは光と闇の間で時間の流れに乗ってこそ、探し求めることができる。

金永甲の美学において重要なことは、場所の反復性にある。ひとつの場所が時々刻々異なって見えるのは、自然の作用のせいである。一つの場所が一つの空間に終わるものでない理由はまさしくそこにある。

金永甲の写真を生み出したもう一つの重要な要素は済州の自然との一体化である。原理のままに生きていく自然と同一化してこそ、自然の理智を体得できるからである。済州の自然との「一体化」とはすなわち、金永甲が「済州になること」に他ならなかった。

彼は写真を撮りながら、済州とソウル、ロシア、アメリカなどで、繰り返し展示会を開いた。自分の写真を展示するにあたって、彼は人々に済州らしさを紹介するために、緻密に計画を立てた。しかし、それと同時に、彼にとっての展示とは、済州らしさにさらに近づくためにそれまでの観念を取り除き、捨てて、新たな出発を試みる作業だった。

そのように渾身の力で写真に打ち込んでいたある日、写真を撮ろうとすると、手が震えだした。あげくはカメラを持つ力もなくなり、歩くのさえもままならなくなった。その後、ソウルのある大学病院で筋萎縮性側索硬化症という診断を受けた。その時から、飲食を断ち、床に伏してしまった。

しかし一週間後には床から起き上った。写真を展示するギャラリーを作る作業を続ける為だった。闘病生活を続けながら、金永甲は廃校を改装し、2002年に「金永甲ギャラリー豆毛岳」を開館した。金永甲は自分の写真が多くの人々の安息所になることを渇望していた。

金永甲はカメラを提げて済州全域を回っていた幸福な自分の姿を想起しながら、六余年の闘病生活のはてに、2005年5月29日、彼が自らの手で作り上げたギャラリーで眼を閉じた。20代の彼を魅惑した島、金永甲はその美しい済州の土に戻り、ギャラリーの庭の草になり、木になった。

「草と木が私に生きる道を教えてくれた。木は自らの果実に執着しはしない。豊かな果実を喜んだり、うぬぼれたりすることもない。果実は人、昆虫、鳥たちの取り分である。惜しむことなくすべてを分け与え、木は再び新しい花を咲かせるために旺盛な活動を始める。」

 


            作 家 プ ロ フ ィ ル           

   
 

 

 

 

 

        金     永     甲       (1957~2005)
1957年 忠淸南道 扶餘にて出生.
ソウル漢陽工業高等學校を卒業.
1982年 から済州とソウルを往復しながら写真を撮る。
1985年 済州に定住し、写真撮影に没頭。
2001年 筋萎縮性側索硬化症/ALSの診断を受ける。
2002年 金永甲ギャラリー豆毛岳開館
2003年 李命同寫眞賞、特別賞受賞
2005年 5月29日 他界.
多数の個展を開催
写真集として『最南端の馬羅島』(1995), 『森の中の人』 (1997), 『心を開いてくれる、えも言われぬ恍惚』 (2001), 『雲が私にもたらしてくれた幸福』 (2005) などがある.
エッセイ集として『島に魅了されフィルムに狂って』 (1996), 『その島に僕がいたんだ』(2004)がある.  


田殷子(李仲燮美術館キュレーター )    contributor@jejujapan.com 

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登録番号 : Jeju Da 01093   登録時間 : 2008年 11月20日   発行人 : 宋姃姬
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