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邊時志の作品の根源は済州の風土
2012.02.26 (日) 田殷子 contributor@jejujapan.com

  芸 術 空 間 

 
   
▲ 「果てしなき風」、  キャンバスに油彩、 30×40、 1993


邊時志の幼い頃の記憶には、済州の強烈な風が刻まれている。高層建築物にぶつかって勢いが弱まった風などではなく、宇宙の果てから押し寄せてくる太初の風。海と島とを区別することなく激しく襲い掛かってくる、天国と地獄が交差したような風。夏にやってくる台風は草家がことごとく吹き飛んでしまうほどだった。風が凪いだ日、縁側から外を眺めて見ると、本土に向かう船が陽光の下で点になってかすかに見える。家と船の間には一面、畠と海が広がる。カラスの群れが木から木へと飛び移る。草地では済州馬がのどかに草を食んでいる。 

邊時志の作品に登場する済州の風物は、彼が幼い頃に蓄えていた記憶を喚起したものである。彼の歴程はカラスの円回転のように、始発点が終着点でもある。済州で生まれ、日本へ、さらにソウルへ、そして再び済州に回帰した邊時志の画家人生は、それこそまさしく風の輪廻のようなものだった。

邊時志は6歳のころに家族とともに渡日した。青年期に日本の画壇の注目を受け、画家としての力量の片鱗を示した。彼の作品世界は日本時代((1945~1956), ソウル時代(1957~1974), 済州時代(1975~現在)とに大別される。

先ず日本時代は、彼が大阪美術学校を卒業し、忠実な写実性に基礎を置く人物と風景中心の絵を描いていた時期である。彼は1947年、光風会展と日展で入選した。1948年には光風会第34回公募展で23歳という最年少で光風賞を受賞した。その後も日本で3回にわたって個展を開くなど、旺盛な活動を繰り広げた。

   
▲ 「そのまま進む路」、 キャンバスに油彩、 100号、 2006

しかし邊時志はアイデンティティに悩んでいた。そのあげく「俺は韓国人だ。なんとしても韓国に行き、その風土の中で感じ、描いてこそ、独自の作品が生まれるのではなかろうか」と考えるようになり、帰国を決心した。

ソウル時代は1957年から1974年までである。1963年からは秘苑でも最もひっそりとした場所に通い、絵を描いた。秘苑は彼にとって「韓国の美とは何か?」という新たな課題をもたらした。ソウル時代は日本時代と済州時代の中間に位置する美学的な橋頭堡とでも呼びうるだろう。韓国的な美の原型に鑿を打ち込んでいた彼は、1970年代に入ると「済州的なものこそ最も世界的なものだ」との認識を固め始めた。

1975年にソウル生活を畳んで、済州に帰郷した。済州はやはり彼に驚きをもたらした。幼い頃に体で感じた深い感動は、壮年になって故郷に戻ってきた邊時志の作品世界を新たに刺激する触媒体となった。

邊時志は外の世界を見た後で初めて韓国の美、さらには済州の真の光と姿を見ることができるようになった。44年前のスクリーンに44年後の視覚が重ね焼きにされて、彼のキャパンスに新しい済州の形象が誕生した。彼の済州時代が開かれたのである。いかなる思潮や流派からも自由な邊時志の作品世界の根源は、まさしく済州の風土だった。

邊時志の悟りは「絵というものは心が赴くままに描くもの」ということだった。ソウル時代に懸命に描いた写実主義の傾向をある時から清算し始めた。もちろん、ソウル時代の写実主義はそれ以降の彼の作品世界の強固な基礎になっており、そうした写実主義に基づいてこそ、心で描く絵が生まれたのである。

多くの人が彼の絵の前で佇む。彼の絵には、寂しさ、侘しさ、懐かしさといった人間の最も根源的な情緒が切々とこめられているからである。

近年の彼は徐々に絵から観念の枠を取り除きつつある。便利な枠も限度を超えると何かと窮屈なことが多く、それを一つ一つ取り除きながら、自由になりたいと言う。彼の作品に登場する人、鳥、馬、草家、木、風、島といったものを取り除くと、ただの点だけが残る。ないのに多くあるような衝撃と効果を醸し出すその何ものか、点一つを描くだけで美的快楽を感じることができるその何ものかとは、高度の精神世界に入っていくことに他ならない。

真正なる美学のために生涯をかけてきた邊時志、彼は80歳を越えてなお、自分自身の風土の美学のために前進を続けている。

 

        作 家 プ ロ フ ィ ル       

                                       邊   時   志        略   歴
   
 
1926年 西帰浦にて出生
1931年 渡日
1945年 大阪美術学校卒業、東京のアテネフランセにてフランス語を学ぶ
1949年 第1回個展(東京資生堂画廊)
1957年 帰国(ソウル)
1958年 油絵展(和信デパート、和信画廊)
1975年 済州帰郷(済州大学校に教授として赴任)
1987年 西帰浦 寄堂美術館に邊時志作品37点が常設展示
1991年 済州大学校定年退職、西帰浦定住
2007年 アメリカ・スミソニアン博物館で、「乱舞」と「そのまま進む路」の2点の10年間にわたる展示が決定
              2010年 招待展(KBS済州放送総局企画、済州特別自治道立美術館)

 

田殷子(李仲燮美術館キュレーター )    contributor@jejujapan.com

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