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韓国舞の虜になった猪飼野の娘、韓日を股にかけて踊り行脚!
−張智恵(チャン・チエ)さん
2012.01.05 (木) 高正子 contributor@jejujapan.com

     マンナメ(出会いの)広場       
* 済州島出身、あるいはその後裔の人たちへのインタビュー

 12月4日、豊橋での「東北大震災チャリティ公演」の練習を指導する張智恵さんと共に名古屋市へ車で向かった。彼女はそのように毎週末になると大阪と名古屋を往復している。「声をかけてもらえれば手弁当でも行かせてもらえます」と言っているせいか、済州4・3事件の慰霊祭をはじめとするさまざまな集会にも手弁当で出演する。声をかけてもらえるのが嬉しく「いつもギリギリで生きてますわ」と屈託がない彼女は「猪飼野」で生まれ育った在日コリアン3世である。「猪飼野」という地名は1973年に施行された住所表示制度によって消えたはずなのだが、実際には在日コリアンの集住地を象徴する名として生き続けている。

   
▲ 踊りで晴らす恨(ハン)と悲しみの美学、サルプリ舞       写真提供 : 張智恵

猪飼野のエリート

大阪生野区のコリアンタウンにあって、在日コリアンの在籍率が最も高い市立御幸森小学校に通っていた頃、特別な学校教育があったわけではないけれども、、家庭科の時間などには「サンピ(布巾)」、「パッチャ(杓子)」、「ネンビ(鍋)」という言葉が飛び交っていた。他の地域ではこのような言葉が通じないことを知ったのは、他地域にある高校生になってから。さらには、ソウルに行って「ああ、あの言葉はチェジュド(済州島)の言葉だったんだ」と合点した。つまり、彼女たちが日常的に使っていた単語が済州島の方言だということが分かるには「三段階」あったことになる。家の中には民族の「み」の字もなかったが、日常のなかに済州島の言葉も、キムチやチャンゴもチョゴリもあった。在日であることについて悩んだり、葛藤したりすることがなかったし隠したりすることもなかった。でも、「御幸森小、中川小、大池中、ヘップ・・・。平気で通名使って、平気でチャンゴたたいて、平気でキムチ食べて、猪飼野エリートって、変な存在なんです」。


初めて韓国文化との出会いは、高校の時に踊った韓国舞踊

猪飼野以外の地域の高校に通うようになり、そこで「やんちゃな」友達と一緒に文化祭の時に何か派手なことをしようと相談した結果、韓国舞踊をやることになり、関西韓国YMCAで韓国舞踊を学んでいた方に習うことになった。その時の演目が巫堂舞(ムダンチュム)と華冠舞(ファグワンム)で、大喝采だった。それが彼女の民族文化との出会いであった。初めてチマ・チョゴリに袖を通したとき、涙が自然に出てきたという。それはいったい何なのか。感動でもなく、懐古でもない。自分でも分からないその涙こそが、後日彼女を韓国へと誘うことになる。


李梅芳(イ・メ バン)先生と一緒に過ごせたことが、一番の私の宝物

短大卒業後保育所の保母として働きながら関西韓国YMCAに韓国舞踊を習いに通った行っていた。そして、1989年にはその職を辞め、その間に貯めたお金をかき集めて、韓国に旅立った。一年のサイクルを韓国で暮らすことで、舞いやチャンゴ、民族を体感したかったのである。そして李梅芳の舞いに出会い、「この舞いを舞いたい」と強く思う。李梅芳は韓国の伝統舞踊を代表する舞踊家で、祖父は舞いの名手であり、検番(券番)の先生でもあった。検番というのは植民地期に寺内総督によって公娼制度(1916年)で設けられた妓生(キセン)組合である。それまで朝鮮半島では教坊と呼ばれる妓生養成所で3年間芸を学んだ者が妓生として認定されていた。祖父の舞いを幼いときから見て育った李梅芳は1989年にスンム(僧舞:国家重要無形文化財第27号)、1990年にサルプリ(恨を解く舞い:国家重要無形文化財第97号)の舞で文化財保護法の技能保有者、俗にいう人間文化財である。

だから、李梅芳の練習場には国立舞踊団のプリマや大学の舞踊科の教授たち、名高い舞踊家がスンムやサルプリを学ぼうと訪ねてくる。張さんは、そんな練習場に365日朝から晩まで通っていた。韓国での舞いの伝承は日本の伝統舞踊のような徒弟制度によるのではなく、作品ごとに作品料を払う。ところが、張さんはまるで日本の徒弟制度のように、李先生の練習場で、先生と同じ空気を吸って暮らした。「先生はお金もないのにここで寝起きしなさい、と言ってくれたのですが、男の弟子たちが出入りするので、寝る部屋だけはほしいと思い、練習場の近くに下宿」した。食事付の下宿もあったが、そこは高いので安い下宿を借りた。練習場に行くと先生が「ご飯食べ」といってくれる。そこで、食べる以外はセウカンという日本のカッパえびせんのようなお菓子をご飯がわりに食べるほどで、栄養不足だから「吹けば飛ぶような」体だった。

李梅芳先生と一緒に練習場を掃除し、衣装をつくり、音楽の編集をする。李先生の衣装にアイロンをかけながら、「幼かった時の木浦の検番ではこうだった。妓生たちはこうやっていた。だから、長短(チャンダン:韓国の伝統音楽のリズム)はこうだった」と話してくれ、張さんにとってそれが「宝物」になる。一年余り経つと、先生が張さんを国立劇場の舞台の端に上げてくれた。いつも李先生の練習場にいて友人を作ることができなかった張さんには、初舞台を見に来てくれる人がいなかった。そこで、彼女は国立劇場の舞台の床に「誰一人私のことを見てくれないけど、床さんだけは覚えてね」とやさしく床を撫でた。そして2000年には李梅芳先生のスンムとサルプリの履修者、つまり、「一生李梅芳先生の舞いを舞うことを許可された」。彼女は今、月に2回は韓国に通い、日本と韓国の両方の舞台で、舞っている。


取材・文     高正子 

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